花は眠りて








 いのの姿が視界から消え、更には森からも完全に立ち去った事を確認して、ようやくシカマルは重い息を零した。安堵という気持ちも入っているがそれよりは重い気分を少しでもどこかへと逃がしたかったからだという理由の方が大きい。
けれども、その成果といえばあまり芳しいものではなく、やはり重いものは重いままだった。

 呆然と立ち尽くしたままのナルトに近づき、目の前に立つと、顔を覗き込むようにして名前を呼んだ。
こんな場合でもシカマルは不用意に触れる真似はしない。
特に今のような茫然自失状態ならば尚の事だ。先ほどのいのに対する反応――反射のように身体が動いてもおかしくはないのだから。

 それでも、それが分かっている点と彼女よりも避けられる自信があるのは確かで、彼女よりは問題はないだろう。
けれども、それをすることは躊躇われた。
きっと、そんな状態に陥れば傷つくのはナルトだ。
身体的にではなく心が、だ。彼が自分たちをどんなに大切に想っていてくれるのかを知っている。
それなのに、いくら条件反射とはいえ、攻撃してしまったなんて、彼にとっては到底受け入れがたい事だ。

 こうなることは容易く想像がついていたからこそ、前もってあれだけ口煩く自分でもうんざりするほど注意しておいたというのにまったく効果はなかったというのが本当に最悪だ。
あの手間隙は一瞬で台無しだった。
だが、それよりも、恐れていた事態に結局落ちってしまった事に苛立ちを隠せない。

 いのに怪我を負わせてしまったナルトよりも珍しい状況に浮かれてあっさり注意事項を破ってしまったいのにこそ責められるべき咎はある。
浮かれてしまった気持ちはわからなくもない。
けれども、あれだけは守らなければならなかった。
自分の身の為だけでなく、何よりも彼の為に。



「――大丈夫か?」



 再度、名前をゆっくりと落ち着かせるように呼び、続いて問いかけると、一拍後にふるりと蒼い瞳が大きく揺れ、端整な美しい顔が歪んだ。
それは一言では言い表せない表情だった。
悲しみや怒り、呆れ、戸惑い――そして、恐れ。
そんな色んな感情が複雑に混ざり合っているような表情だった。



「――大丈夫か?」



 もう一度同じ事をゆっくりとした穏やかな口調で問うと、移ろっていた瞳はようやくシカマルの方へ向き、視線が交わった。
いつもならば何か想定外の事が起きて、思わずそれが感情を殺す許容量を越して表情に出てしまっても、直ぐに冷静さを取り戻し、繕ってしまうナルトのこの様は異状だった。だからこそ、呆然とした状態から、僅かであっても元の自分を取り戻しつつある様子にシカマルは強い安堵を覚えた。

 ナルトの唇がかすかに震えるように動いた。
それは音を成してはいない。
もし、他の者がこの場に居合わせていたのならば感情を押し殺せずに震えたように見えただろう。
けれど、シカマルにはそれが言葉を刻んだものだとわかった。
唇の動きから言葉を読み取れる技術は取得しているが、今回は読みとれるほど動きはなかった。
しかし、何が言いたいのかは分かっていた。
シカマルは意識して明るい笑みを浮かべた。



「大丈夫。いのは大丈夫だ。ちょっと怪我しただけだ。傷痕も残らないぐらい綺麗に治るさ。なに、あの綱手様が女性に、ましてやお前絡みの怪我で痕を残させるような真似はしねぇだろう。――だから、安心しろ?」



 声も明るくなるように努め、そこまで深刻になるような事ではないというように笑んだ。
この言葉も今のナルトには気休め程度だろうが、それでも少しでも持ち直すのならばするべきだろう。
実際に、少しだけ瞳に生気が戻った。

 それに、内容は嘘ではない。
決して致命傷になるような傷ではなかった。
ただ、ちょっと深く傷ついた部分が部分で出血が派手だっただけで、傷の事さえ気にしなければシカマルの施した処置だけで治療は充分なぐらいだった。
心配なのは傷痕だけだ。
得物が毒の塗布されていない切れ味のよい刃物だったのは不幸中の幸いだろう。
しかし残る可能性だってある。
それを阻止する為に火影の元へと行かせたのだ。
医療のスペシャリストとして何としてでも完璧に治してもらうために。不安要素などひとつも残したくない。
どんな手を使ってでも。

 しばらくは二人を包むのは沈黙という空気だった。
先ほどのような息苦しさは消えたが、それでも、沈鬱な空気は変わることなく存在し続けていた。
今は甘い花の香りも、目に優しい花盛りのままに姿を留める樹も慰めにはならなかった。

 どのぐらい経過しただろうか、楽しくない空気は時の経過を酷く遅く感じさせていた。
ざわりと森を吹き抜ける風が黄金色の髪を弄ぶ。
それをナルトは緩慢な動きで押さえると、森の木々のざわめきにかき消されそうな小さな声がぽつりとその唇から零れ落ちた。



「…殺す、ところだったってば…」
「故意じゃない。あれは事故だ」



 それは聞いたこともないような、実際は違うけれども、今にも泣きだしてしまいそうなか細く頼りない消えそうな声だった。
――いや、かつて一度だけ同じようにナルトの泣きそうな聞いた事があったのを、きっぱりと断言するように即座に答えながら思い出した。













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