花は眠りて








  ――…そう、あれは、いのが根性で二人で過ごす時間に加わるようになって間もない頃だっただろうか。
その頃には実力が認められはじめ、ようやく大体の蒼輝だからこそ任されるような難度の高い任務にも同行するのを許されていたシカマルだったが、あの日だけは同行できなかった。

 寒い、身体の芯まで冷え凍えそうな、白い舞い散る雪が朝から降っていて里を染めていたのが酷く印象的な冬の日だった。
冬になると機嫌を悪くするナルトの機嫌は悪化の一途を辿っていて、その日は始終ぴりぴりしていた。
彼が築く、堅くて高い心の壁の内側に入れてくれたと思っていた己でさえも容易に近寄るのは困難なほどで、その様子は火影でさえもがお手上げ状態で、当初蒼輝にと予定していた任務を急遽他の者に回すような具合だった。

 そういうことで、触らぬ神に祟りなし、と言わんばかりにその日はそっと腫れ物のように放置されていたのだが、予定が全て予定通りにいくとは限らないのが常だ。
案の定、と言うべきか、こういう荒ぶった天気だからこそ好機と思ったのか、以前から警戒はしていたが、警戒心が強いのか、こちらの動きを察知していたのか一向に動きがなかった忍の幾人かが機密情報を記した巻物を奪って、見張りの忍を殺して逃走したという報告が入ったのだ。

 目をつけていた者をむざむざと見逃した、その失態だけでも暗部として忌々しき事だというのに、更に最悪な事に、その場でその実力に見合い、動ける火影の信用の厚い手の者は蒼輝しかいなかった。
元より慢性的に人手の足りぬ暗部であったが、この日も同じく実力者は全て任務に出ていたのだ。
そう、黒月でさえもその日は同じ事情から別任務に借り出されていたのだ。
だから、その先の空白の期間は人から聞いた話と、ナルトの様子からの推測でしかない。

 こうなれば機嫌が悪いから、などという理由が通用しないのが当然だ。それが社会というものである。
寧ろ、この時点までその理由が通っていた方が普通ではないのだ。
それが通用したのは偏に蒼輝だからという理由に他ならない。
それを許してしまうような何かを彼は持っていた。

 けれども、今回ばかりはそうはいかなかった。
それでも躊躇を覚えずにはいられない。冷静に動けぬ者に死は近しいものだ。
それでも、一番の適任が彼しかいないのは明確で、結局、蒼輝がその任務を請け負ったのだ。

 その日の任務に酷く時間がかかっていると初めに気づいたのはやはりシカマルだった。
後から出て行った時刻と、その簡単な内容を聞いて照らし合わせても不自然な程に長い時間だった。
彼らの足が想定以上に速く、追い駆け始めた時には既に遠くへといたと仮定しても、だ。

 それに、この悪天候は彼らにとって好機ではあるが、同時に困難なものでもある。
容易く逃げきれるもではないし、そもそも発覚は彼らが逃げてから然程時間が経過していなかったらしいのだ。
そこに蒼輝の実力を鑑みればこの時間の経過は異様だった。
今回のように雪ではないが、過去に酷い台風の最中に似たような事態が起きた事があったが、彼はその際に難なく任務をこなしていたという実績があるのだから。

 ただ、異様ではあるが、寄り道しているだけという可能性は多分にあった。
過去、共に任務に出た際に報告は後回しにして休憩を取ったこともあるし、珍しく血に汚れてしまい、それを落とす為に川で行水したこともあった。
そういった事例がある限り、絶対に今回の時間経過がおかしいとは言いきれないのだが、それでもシカマルの胸の内には不安が芽生え、それは瞬く間にじわじわと広がり侵食していった。
そうなってしまえば居ても立っていられなかった。

 ――こんな雪が舞い散るような時に、どうして彼が好んで外にいるというのか。

 嫌な、予感がした。
決してナルトはいつまでたっても童の心を忘れていないような、無邪気に雪に喜べる者ではなかった。
寧ろ、厭っていると言ってもいい。
だからこそ、直ぐに帰ってこない事実がどうしても不自然に思えてならないのだ。
これが己の思い過ぎならばいい、そんな気持ちを胸にシカマルは走り出した。
誰かの静止の声が背後から聞こえたが、それを受け入れる気は更々無かった。

 雪の勢いはいつの間にか弱くなっていた。
小さく頼りない存在に変わった雪は、外気に晒されていたシカマルの肌に当たっては直ぐにその体温で融けていく。
これ以上強まることはなく、間も無く終焉を迎えそうな降雪に安堵を覚えた。
捜索のしやすさという点だけではない。
ナルトが雪を嫌って…否、嫌悪していると言っても過言ではないのだろう、事に気づいてからシカマルは冬という季節があまり好きではなくなった。
雪も然りだ。
以前、お前はアイツに影響され過ぎだと苦笑しながら言ったのは果たして誰だったか…。

 しばらくして僅かにその足の速度を緩めた。
何しろ殆ど勢いのみで飛び出していたので明確なる目的地はないのだ。
けれども闇雲に走っても目的に出逢える確率など低いだけ。
しかし、思考したのは歩みが緩んだその時だけで、直ぐにシカマルはぼんやりとしていた意志を固めると、今度は更にその速度を上げた。

 一度決定してしまえば一切迷うことのないその足取りのお陰で、状態の悪い足場にも関わらず目的地には直ぐに着くことができた。
雪はとうとう止んでいた。
鬱蒼と木々が茂る森の入り口にシカマルは立った。
いくつもの候補が上がる中、この場所を選び取ったのはやはりここが蒼輝と縁が深い場所だからだ。
もし、彼の身に不幸が訪れたのではないとするならば、居るのはここのような気がしたのだ。

 この森は人を選別する。
選ばれた者ではない者が何かの意図あるなしに関わらず入ろうとすれば忽ち迷路と化し、彷徨うはめになるのだ。
シカマルが認識する範囲では今のところ死者は出てはいないが、運が悪いと二、三日出口を求めて彷徨った人もいるぐらいだ。
実際の森の大きさは然程大きくないというのに。
そういった事が過去に何度か起こっており、そのあまりにも不気味な出来事に近所の住人はこの森を《禁忌の森》と呼んで近づくこともしなかった。

 忌み嫌われる森という条件に深夜という時刻。そこに悪天候が重なって人気は皆無だった。
もっとも、こんな時に外で行動しようと思う人間は、よほどの事を抱えた疚しい人間か、それに関わる者ぐらいだろう。でなければ、とてつもなく酔狂な人間か…。

 だが、森自体に排除しようとする意思があるわけではない。そのような力が宿るものではない。
いや、広い世界の中にはそのような森もあるかもしれないが、少なくともこの森は至ってごく普通の森だった。
なのに、そうさせるのはこの場所にかけられた術によるものだった。

 《禁忌の森》に関する噂を調べればすぐにわかることだろう。その話の始まりが古くからではなく、ここ数年のことであることに。
ただ、噂がその事実を昔からの事のように変質させただけ。
まだ、それほど遠くない過去、その時から今なお維持されつづけている術をかけているのはナルト――シカマルが想う人だった。

 そんな森へ躊躇することなくシカマルは踏み入った。
数年前からナルトに立ち入りの許可を得てから、森にとってシカマルは異物ではない。
惑わされることなく、慣れたように獣道を突き進めば、そこには目的の場所があった。

 森にしては不自然なぽっかりと広がった空間は大きくはないが小さくもない場所で、その中で存在を主張するように一本の白い花を咲かせた樹が立っていた。
花に然程興味のわかぬシカマルにもこの花は美しい。
そして、なにより、自然に逆らった枯れぬ様子は興味を抱かせる。
けれども、それを追求することはしなかった。
愛しげに樹を見つめるナルトから、自ずと答えは導き出された。しかし、答え合わせをすることはない。
それを、彼が望まないとわかっていたからだ。
それに、いつか彼自身から聞きたいという願いがそこには詰まっていた。

 いつもならばここで休息していることの多いナルトなので、今日もそうではないのかと思ってのシカマルの行動であったが、周囲を見回しても彼の存在は見当たらなかった。


「外れたか…。しかし、ここじゃねぇならどこに…?」


 こんな不安定な時に彼が行く場所なんて殆ど思い当たらない。
流石に任務の内容が内容だけに報告も上がらずに家に帰宅したわけはないだろう。
先ほどまでここにいて、すれ違ったか…? しかし、注意深く見てもここにはそんな気配は欠片も残っていなかった。
痕跡の消し方が上手いのか、それとも…? 思考がどんどんと嫌な方向へと進むのが止められなかった。


「とりあえず、向かっただろう方向へ行ってみるか…」


 直ぐに己が取るべき行動を決め、動き出そうとしたが、突然の思わぬ突風に立ち止まざるを得ず、腕で顔を隠し目を瞑ってやり過ごした。
しばらくして、すっかり風が立ち去った気配を感じとり、目を開けようとした瞬間、ふわりと花の香りをいつもより強く感じたような気がして、シカマルは背の方へと顔を向けた。

 ひらり はらり

 散らないはずの花びらが数枚、風に流されて飛んでいく様子を目にした。
その姿はまるで桜吹雪のようでもある美しさを彷彿とさせ、目を奪われるが、はっと思うことがあって直ぐに我に返った。
散らない白い花がこうして散る様を見せる時は何かしら其処には深い意味があった事に気づいたのだ。


「なら、今回の意味は…?」


 この花の存在はいつだって全てナルトが関わっている。
ならば、きっと今回もそれに外れぬもので、ナルトがいない今あった、この行為の意味はシカマルに何かを告げようとしているように思えてならなかった。

 ナルトが向かっただろうと思われる場所とは真逆の方向へと花びらは散っていった。
それが示すその先に彼がいるというのだろうか?
――それはシカマルの勝手な思い込みかもしれない。
偶然起きた現象で、そこまで考えるシカマルは愚かな妄想家という事も大いに有り得た。
けれども、一番の候補であるこの場所にいない以上、ピンとくる場所がない今、賭けてみるだけの価値があるのは間違いなかった。


「――…感謝する」


 今度こそ駆け出そうとしたが、しかし、その前に感謝の言葉を白い花の樹に向かって口にした。
何となく、そうした方がいいような気がしたのだ。彼をいつだって優しく包みこみ見守る存在に。
シカマルはそれだけ口にすると、もう此処には何も気に留める事などないというように、まるで疾風の如く素早く立ち去った。

 ――その背に、まるでシカマルの言葉に答えるように、微かに木々のざわめいた音が聞こえたような気 がした。











next...








SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送