花は眠りて








  ――いったい、どんな夢を見ればこのような表情になるのだろう。


 そう思わずにはいられない硬質さ。安らかとは言い難い表情だった。
家族や友人の寝顔を何度か目にしたことがあるが、こんな表情のない様子ではなかった。
それに気づくと酷く強い不安にいのは襲われた。
つい先ほどまで美しいと思ったはずの光景なのに、無性に、今、この瞬間は破壊したいと思えてならなかった。

 そんな強い思いが、いののそれまで保っていた緊張を緩めてしまったようだった。
何を心得なければならないのかといった諸注意は頭から綺麗さっぱり抜け落ちていて、気づいた時には衝動的にナルトへと手を伸ばしていた。



「…っ! この馬鹿っ!」



 シカマルの焦り雑じりの鋭い叱責の叫び声が聞こえたのと同時に、ハッと、いのが自分のしでかした失態に気づいた時にはもう遅かった。
今にもナルトの頬に触れようとしていた手はその直前に、強い力で捕らわれたかと思うと、前のめりになっていた体勢は真逆の方向へと強い力で持っていかれ、その首元にはひんやりとした鋭く冷たいモノが押し当てられていた。

 その正体は確認しなくても分かる。――クナイだ。
流石というべきか、木ノ葉の最強の忍の名に相応しく、避ける暇がない速度の攻撃は、その勢いのままにいのの首を刎ねるだろうと思わずにはいわれないものだった。
恐怖に思わず目を瞑る。衝撃がくるかと待ち構えていたが、しかし、幸いな事にそうはならなかった。だが、無傷ではなかった。
クナイは僅かにいのの皮膚を切り裂き、血を滲ませる段階で止まっていた。



「――…い…の……?」



 激痛ではないものの、しっかりと感じる痛みを堪えながら、恐る恐るいのは瞑っていた目を見開いた。
うっすらと開けた視界には金色の髪が映って、さらに顔を持ち上げてしっかりと目を開けると、そこには驚愕に目を大きく見開き、血の気が一気に引いてしまったように青い顔をしたナルトと、そしてその手を掴むシカマルの姿があった。



「ふぅ…間一髪だった、な」



 それは疲れを感じさせる声だった。
状況から察するに、どうやらシカマルが阻止してくれたようだった。
遠いとは言わないまでも、それなりに離れた場所に居たはずなのに、一瞬でその距離を詰められたのは、そして、ナルトを止められたのはシカマルだったからだろう。
でなければ今頃はいのの頭と胴体と綺麗にすっぱりと離れていたはずだ。
そう思うと正直、背筋がぞっとせずにはいられなかった。

 今尚、呆然としたナルトのクナイを握る方の腕をシカマルがそっと引くと同時に、力を失ったナルトの手からクナイが落ち、重力に従ってぶすりと地面へ突き刺さった。

 ひやりとした刃が首から離れたと同時にいのは首に手を当てて応急処置を施した。
別の箇所ではあるがもっと酷い怪我を過去の任務で負ったことが何度もあるから処置に問題はないし、ある程度の体の具合は把握できる。
具合が自分でよく見える場所ではないが、血の量からは幸いな事に深刻なものではなかった事が窺えて安堵した。
傷云々はともかく、後でしっかりと手当てすれば大丈夫だろう。
こんなことで大怪我を追ってしまったら色んな意味で大問題になりかねない。
もちろん任務もだが、親馬鹿な両親は煩いだろうし、…何より、ナルトが気にしてしまう。

 それが何よりも重要だった。
だって、故意ではない。
これは事故だ。
ナルトが反射的に攻撃してしまう事を知っていたはずなのに、不用意に触れた自分が悪いのだ。



「あの、ナル…」
「いの」



 尚も血の気の引いた顔で呆然と立ち尽くすナルトの姿に不安を覚え、声をかけようとするが、それはシカマルの声で遮られた。
今までによくあったような類の横槍ではない。
その声から少しもからかったり馬鹿にしたりしているような響きはなく、低く鋭い声だった。

 幼馴染だ。物心ついた時から知っている彼のその視線が、声が、逆らえるものではないことは直ぐにわかった。
こんな顔をするシカマルに逆らって良い事が起きた例がないこともわかっている。
自分がナルトをどう想っているのか理解していて、そして、何よりも彼自身がナルトを深く想っている。
面倒なことなんて嫌いだと豪語する彼が、努力も苦労も惜しみなくしてまで傍にいようと想うなんて、過去の姿を知っているだけにどれほど凄いことかわかるのだ。
きっと、自分の事以上に、何よりも大切に想っている。
…だから、それ以上の言葉を紡ぐのをいのは諦めた。
諦めざるしかなかった。
その上でのものならば、それはこの上もなく重い意味をもつのだから。

 全てナルトへと向けていたものを、シカマルの方へと移せば険しかった彼の表情が僅かに安堵に緩んだ。
けれど、僅かだ。
シカマル、と表現するよりも《黒月》と呼んだ方が正しいような雰囲気を纏っているのは変わらない。



「――怪我の具合はどうだ?」
「…大丈夫。ちょっと切っただけで済んだみたい」
「そのようだな。…よかった、が、安静を取って今日の任務、お前は休め」
「なっ!」
「変わりに、火影様にその旨を報告して、序に正式な治療を受けてこい。仮にも女なんだ。下手な治療で痕なんて残したくねぇだろう?」
「でも!」
「――これは命令だ《紫姫》」



 先ほど以上にそれは逆らえぬものだった。
己の暗部名を呼ぶということはそれは上司としての命令である。
暗部として新参者でしかないいのに逆らう余地はない。
だが、それ以上に懇願の混じるその切羽詰ったような目に反論の言葉は飲み込むしかなかった。

 視界の隅でずっと、ナルトは茫然自失の状態で立ち尽くしたままだった。
見たこともないぐらい顔色は悪く、今にも倒れそうな様子は尋常ではなかった。
いのを殺しかけた、そんな理由では不足だと思える程に。

 今、いのが近寄るのは逆効果なのだろう。
どうしてだかはわからない。
けれど、そう己以上にナルトを知るシカマルが判断した以上はそうなのだと納得させるしかなかった。
ならば、いのとしてはそうするしかない。
それがナルトの為になるのならば。



 後ろ髪を引かれそうな思いを振り切って、いのは森を後にした。










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