七月二十七日、日曜日。時刻は午前十一時半を少し過ぎた所である。御柳家の二階にある一室に入り込む黒い影があった。 「うぐ!」 扇風機によって起こる風を独占してベッドで健やかに眠っていた御柳は、突然の腹部圧迫に苦しげな声を上げて目を覚ました。 「て、てめぇ…天国! 何しやがる!」 こんな手荒い起こし方をするのは猿野の他にはいない。姿を確認せずとも分かって、御柳は腹部を圧迫した物を押し退けながら起き上がった。手に触れた物は、太い筒状の冷たい物だった。 「芭唐キュンお目覚め? それはアタイからのプレゼントよ」 微笑む猿野は御柳の怒鳴り声など気にも留めない。睨み付けられてもどこ吹く風である。 それ、と言って指さした物は缶詰だった。 「パイナップル…」 見た瞬間、御柳は顔を引きつらせた。御柳はパイナップルが嫌いなのである。しかもその缶詰は横がへこんでいるという散々な物だ。缶詰の横には、百円均一などでよく見かける、パイナップルの形をした置物が置かれていた。 「その置物もあげるわね。あ、そうそう、バブリシャスのパイナップルソーダも買ってきたのよ。明美、芭唐キュンのために奮発しちゃった」 と、言って猿野はバブリシャスを御柳に投げ渡した。 「金かけた嫌がらせするんじゃねぇよ…」 御柳の嫌そうな顔を見るためだけに猿野はわざわざ買ってきたのだろう。押し付けられた物を目に入らない場所に溜息混じりに押しやって、御柳は何かを訴えたがっている猿野を見た。 「で、何だってんだ?」 欠伸をして、目に掛かる髪を掻き上げる。 寝ていた自分を手荒い方法で起こした人物が犬飼だったならば極刑ものだが、猿野ならば仕方がない。呼びかけで起きなければ乱暴な手を使っても良し、という考えの持ち主だと知っているからだ。しかも、今日の猿野は機嫌が悪いらしい。それも、自分が原因、もしくは自分が関わっての事で。妙な嫌がらせをしてくる事がその証明である。そうとなっては怒りを持続させる訳にもいかない。 出方を窺う御柳の目の前で、猿野は笑みを浮かべて言った。 「質問。今日は何月何日だ?」 「はぁ?」 「何月何日かって聞いてんの」 さっさと答えろ、という言葉が威圧的な空気となって御柳に伝わる。 (つーか今日って何日だっけ?) 内心で首を傾げる御柳の部屋にはカレンダーというものが存在しない。ふと気付いて携帯を手にして覗いてみると、”7/27”という表示があった。 「七月二十七日だろ? それがどうかしたかよ」 猿野が何を言いたいのか分からず聞き返すと、猿野は大袈裟に溜息をついた。肩を竦めて大きく首を振ってみせるという、あからさまな演技付きだ。 「やっぱり覚えてねぇのな。あんだけ言ったのに。プレゼントっつっても反応ねぇし」 落胆に肩を落とした。 「あー? 訳分かんねぇぞ。今日何かあったか?」 記憶を掘り返して考えてみても、今日という日に何か特別な事があるという情報はない。何か約束をした覚えもない。御柳は答えを求めて猿野に目をやった。 「何かあったのは今日じゃなくて一昨日! 仕方ねぇ。説明してやる。 ──あれは今から一ヶ月ほど前の事です。俺はこの部屋で雑誌を見ていました。その時に…」 仰々しく猿野は語り始めた。 『芭唐の誕生日って十月五日だよな。つー事は…天秤座か…』 『お前占いとか見んのかよ』 『占いじゃねぇよ。性格判断。えーっとなになに? 天秤座はバランスを保とうとする平和主義者……嘘だ! …上品でそつがなく、敵を作らずに誰とでも仲良く出来る……嘘だ! 優柔不断、消極的、不誠実……不誠実は当たりだな。うん』 『てめぇ…』 『おしゃれでセンスがいい? 泥棒シャツなのに!? そんな馬鹿な!』 『……はい、そこまで。もういいっしょ。つーか何でお前俺の誕生日知ってんだよ』 『ほとんど当たってねぇなこの性格判断。詐欺だ。って、ああ、何で誕生日知ってるかって? 梅さんに聞いたかんな』 『梅さん?』 『おう、報道部の人なんだ。華武の事色々調べてて部員の事にも詳しいんだぜ』 『なるほどな、報道部の情報か』 『あ、ちなみに俺の誕生日は七月の二十五日だ。近いよな。何かくれ。俺もお前の誕生日に何かやるから』 『あー…気が向いたらな』 『約束だかんな!』 「というやり取りをしたんですが? プレゼントはともかく、祝いの言葉くらいくれてもよくねぇ?」 凄み二割増しな微笑みを披露した猿野は勢いよくベッドに座る。弾みで御柳の体が揺れた。その御柳は、話を聞いてやっとその時の事と猿野の誕生日を思い出した。同時に身の危険を感じる。今の今まで忘れていたため、プレゼントの用意をしていないだけでなく、祝いの言葉すら言っていない。こういう事に細かい猿野の怒りはしばらく解けないだろう。御柳は肝を冷やしている。 「もしかしなくても、わ、す、れ、て、た?」 猿野の言い方には迫力があった。 実は、御柳はここ数年、知り合いや友人の誕生日を祝った事などない。祝う、という行為そのものを忘れていたとも言える。基本的に人の誕生日を聞いても覚えない事もあり、猿野の誕生日の事などすっかり忘れてしまっていた。 「あー……悪ぃ…」 背筋が凍り付きそうなほどの威圧に耐えかねて、御柳はあっさりと白状した。 ここは素直に謝るに限る。そう判断した。 この後どう文句を言われるか、と心で身構えていた御柳だったが、意外にも猿野は文句を言わず、苦笑いを浮かべるだけに終わった。本気で怒っていた訳ではなかったようだ。 「だと思った。つか、こうなるだろうなー、とは思ってたんだよな。その通りになったけど」 そうして乱暴に頭を掻く。苛々する時やもどかしい時などにする癖だ。その行動で、まだ誕生日への拘りがあると分かる。御柳は言葉にはしないが自分に非があると認め、ぐるり、と部屋を見回して、一つ頷くと立ち上がった。それを猿野は目で追う。 御柳はコンポの前に立つと、中からCDを取り出してケースに収めて猿野に渡した。 「やるよ」 差し出されたそれは、御柳が一番気に入っているCDだった。 「へ? これってお前がこの間限定版でもう手に入らないやつだっつってたやつじゃん。それに曲もジャケットも気に入ってるっつって…」 畏れ多い、とでも言うように慌てて返そうとする猿野の額を御柳は指先で弾く。 「いて!」 「いいんだよ。聞きたくなったらお前ん家に行きゃいいんだから」 その言い分もどうかと思うが、猿野は遠慮して受け取らない。無理矢理奪うのではなく譲り受けるのだとしても、御柳のお気に入りの一品である。どうしても抵抗があるのだ。 「でもよー…やっぱ、なぁ」 戸惑う猿野に業を煮やした御柳は、CDを猿野の胸元に押し付けた。 「誕生日のプレゼントだっつってんだ。これ、お前も好きなんだろ? 大人しく受け取っとけ。当日に何も出来なかったんだからこんくらいしてもいいだろうが」 誕生日を祝い、祝われ、という行為をこの年になってまでするのは恥ずかしい、と思っていた御柳だが、相手が親しい人物となると何かやりたくなるのだから不思議である。惜しげもなく、気に入っているCDをプレゼントする気になった。 とうとう根負けした猿野は、渡されたCDを受け取って、満面の笑みを浮かべる。嬉しくて仕方がない、といった表情だ。 プレゼントも嬉しいが、”祝ってもらえた”という事がそれ以上に嬉しい。 「ありがとな! これ、大事にすっから!」 「ったりめぇだろ」 無愛想に返す言葉は照れ隠しなのかもしれない。 「後は…誕生日おめでとう、だな」 ベッドに座っている猿野の前に立って髪を、くしゃり、と掻き混ぜて、頭を数度軽く叩く。一瞬目を見開いた猿野は、やがて照れ臭そうに笑った。 「へへ、サンキュな。…二日遅れだけど」 「一言余計だっつーの」 軽快な音を立てて頭を叩かれた猿野だったが、その顔は誕生日を祝われた喜びに満ちたままだった。 「次は俺の番だな! お前の誕生日は盛大にお祝いしてやる!」 嬉々として話す猿野に御柳は不敵に笑いかける。 「三倍返しで頼むぜ」 「そんな金はねぇ。けど、何かいいもんやるから楽しみにしとけ。まぁ、パイナップルじゃねぇのは確かだ」 「当たり前だ。って、それで思い出した。お前が持ってきたあれどうすんだよ」 あれ、とは猿野が嫌がらせに持ってきたパイナップル一式である。これまで忘れられていたが、その一式はベッドの上でタオルケットに包まれて放置されたままだ。見たくもない、という御柳の気持ちの表れだった。 「缶詰は冷やして俺とおふくろさんと親父さんとで食う。置物は玄関にでも置いて飾りにすりゃいいだろ。バブリシャスは…仕方ねぇな、俺が後で食うわ」 「…持って帰れよ…」 「いいじゃん。きっとおふくろさん喜ぶぞー」 と、缶詰と置物を持って猿野は一階にいる御柳の母親の元へと向かう。丁度これから昼食なのだ。後を御柳は追いかける。 「おふくろさん、一昨日は俺の誕生日だったんすよー! あ、これはお土産です」 などと言いながら缶詰と置物を母親に渡している猿野の姿が御柳の目に映った。これにより、この日の夜に御柳家で猿野の二日遅れの誕生日パーティーが行われたのは言うまでもない。 |
END
44444番のキリリクですv 芭猿のシリーズを使って、猿野の誕生日を御柳が忘れてて…というリクエストでした。 プロフィールを見て知った御柳のパイナップル嫌い。いつか嫌がらせを猿野にしてもらおう、と思ってました。念願叶って一人大満足(笑)。 御柳は、他の奴の誕生日は祝わねぇけど天国なら祝ってやってもいいか、みたいな感じです。猿野はみんな祝いますが(うわぁ)。やまなし、オチなし、意味なし=芭猿シリーズって事で…。 みなみさん、誕生日の話、こんな感じになりました。どうぞお受け取りくださいましv 例によって例の如く、あっさりしたほのぼの(?)みたいな何とも言えない話になってますが、それが味だとでも思ってやってください。 リクエストありがとうございました。また機会があったらよろしくお願いしますv |
はう。このような素晴らしい小説をありがとうございます!! キリ番踏めて幸せです!!光栄です!! すえさんの書かれる二人の関係が好きですvラブですvv 理想の二人ですねーvふふv大切なCDを天になら惜しげもなくあげれちゃう芭唐が素敵ですv 今後もどうかよろしくお願いしますねーv |
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