時の色






俺の瞳は特別製だ。いや、左眼は、というべきか。
この瞳は昔から「この世に存在せぬもの」を写す。別に宇宙人が見えるとか、そんなのではない。
まぁ、簡単に言えば幽霊とか、この世に存在しないと思われるものなどが見えるってわけだ。
ま、それだけが俺の力ではないけど。
俺の家は神社で、どうやら家系的にこの瞳は受けつがれているらしい。
だから、俺の周りではそれが当たり前で。
そのせいか、こんな力があることに別に違和感はなかった。
だが、信じてない人には「嘘つくなよ、変な奴」などと言われ、信じる者には羨ましがられる。
だが、そんなヨイものでもない。
死んだままの姿でウロウロする人間なんて見えたってよいことなんて何一つない。
まぁ、もうどうでもいい事だけど…?


「真。なにを呆けておる」


思考の泉に浸っていた俺こと、澤水真は俺を現実に取り戻したものに目をやった。
目の前には白猫が一匹。
蒼色の綺麗な瞳が印象的だ。
そう、先ほどの声は明らかにココから発せられた。


「なんでもない…。それより、翠。見つかったのか?」


そう、翠も特別な猫だ。
相当の歳を重ねた猫らしく、それによって不思議な力を得たらしい。
その力のおかげで、人間では俺にだけだが意思を伝えることができるのだ。
まぁ、要はテレパシーみたいなものが使えるけど、人間相手じゃ俺だけ、っていうこと。
つまり、先ほどの会話だって、俺が一方的に声を出してるだけで、他の人には『猫に話しかけてる危ない男』にしか見えないってわけだ。
この力は助かるが、ある意味危ない。
まぁ、とりあえず、俺にとっての翠は口煩いお目付け役みたいな奴だ。


「悪かったな、煩くて」
「冗談だよ。翠にはいつも感謝してる」
「どうだか…」


人間ならば肩をすくめるような仕草を一度して、翠は再び歩み始めたので慌てて後を追いかける。
まったく、心を共有できるってのも厄介だ。


「…翠?」
「近いぞ」


急に歩みを止めた翠の視線の方向を見やると、その先には湖があり、ひっそりと、森の中に隠れるように存在していた。
きっと、目的はここにいるはずだ。
真は眼鏡を外した。
普段は余計なものを見ないようにするためのものだが、今回はこの力が必要だった。
この左眼の力が。
精神を集中させ、警戒しながら慎重に歩みを進めると、そこには水色の美しい人が湖の岸辺に立っていた。
否、人ではない。人の姿をした精霊である。
事実、この左の瞳にしか彼女の姿は映ってはおらず、微かに日の光に透けたその身体に水面までも届くかのような美しく長い髪を垂らしたその姿は優美で、まさにお伽話に出てくるような精霊だ。
ゆっくりと真と翠は彼女に近寄った。












「初めまして」


突然声をかけられ、吃驚の表情をした彼女に真は微笑んだ。
驚くのも無理はない。
人間とは彼らの姿が見えないものとされているのだから。


「あ、貴方は誰…?私の姿が見えるの?」
「俺は真。案内人。そしてこっちは俺の相棒の翠。貴女を導きにきました」
「みち、びく…?」


真の言葉に不思議そうに首を傾ける彼女に翠は返事をするように一鳴きした。


「そう、貴女達のようなものを守るために俺達は存在する」
「私たちを…、守る…?」
「えぇ」


信じられないかのような瞳を向けた彼女の手を恭しげに真はとった。
そして、ビクッと微かに脅えるように震えた彼女を安心させるようにその手をふわりと包み込んだ。
生身の人間のものではない、冷ややかな、それでいて確かでない感触。
この力がなければ触ることも叶わずに通り抜けてしまうだろう。


「ごめんね。ちょっと貴女の時を見せて…」
「えっ?」


深呼吸を一つし、眼を瞑った。
この左眼は存在するだけで力を発揮する。
実際に目を見開いて見る必要はない。
要は左眼に集中するだけのこと。
真は瞳が、いや、身体が熱くなったかと思うと、意識が一瞬遠くなるような感覚を覚えた。

―捉えた!

そう感じた瞬間、彼女の身体は震え、真の意識も大量の水に呑み込まれたような感覚に切り替わった。
だが、それは感覚だけで、息苦しいなんてこともなく、唯、水の持つ静寂さだけが辺りを満たしている。
暖かいような冷たいような不思議な感覚。
これこそ、水の精霊である彼女の意識に真の意識が触れている、重なり合っている証拠だ。
段々視界が明確になっていく。
澄んだスカイブルー色の彼女の世界。
綺麗で、けれど、どこか寂しい、彼女の今までの時の記憶。


『歌が、聞こえるわ…。綺麗な声…』


口が勝手に動いた。
だが、その口から漏れたのは自分ではないものの声。
彼女の声だ。
自分を見やると、白い陶磁器のような肌に、細い手足。
そして、水色の長い髪。今の真は真であり彼女でもあるのだ。
彼女の意識に重なっている為にそう感じているらしい。
森のどこからか聞こえてくる歌声に胸がほんのりと温かくなったような気持ちになった。
この森の奥で一人は淋しくって。
魚や水を求めてここにくる動物達の友達はいるけれど、この淋しさが癒されることはなかった…。

そこに、その歌声は毎日聞こえて、それが彼女の楽しみになって…。
そして、歌声の持ち主が分かったのはそれから一週間後の事だった。












「綺麗な湖だな…。絵を描くには理想の場所だ。近くまで何度も来たことあるのに気づかなかった」


そう言って湖に近づいてきたのは1人の青年だった。
見かけない顔の青年。
彼は何と言ったのだろうか?
何度も…?
最近、この近くにでも越してきたのだろうか?
彼は真と同じような年頃、十八歳ぐらいのように見えたが、それにしては彼の身体は細く、酷く儚げな印象を受けた。
手には画材道具を持っている。
彼の言葉から推測するに画家なのだろうか?
彼はおもむろに岸辺に腰を下ろし、絵を描き始めた。
真っ白な大きな紙を埋めていく。
彼女はそっと彼に近寄った。
彼に彼女の姿は見えることはないから怖くなどないし、何より、他人が自分の湖をどのように見てくれているか興味深かったのだ。


『綺麗…』


白い紙に現れたのは美しい湖。彼女の半身ともいえる湖。
それは、どんな人間の賛美の言葉よりも心に伝わって。




  君に伝えよう この気持ちを
  君に届けよう この想いを 

この声が届く限り叫んでみるから




その時、突然、彼の口から毀れた歌声。
それは、私が、いや、彼女が毎日楽しみに聞いていた歌声で。
胸が苦しいほど切ない歌。


『貴方の、貴方の歌声だったの?』


でも、その問いかけは決して届くことはない。
姿を彼に認めて貰うこともできない。
ちくりと彼女の胸が痛んだ。
何故痛むのかはその時の彼女には判らなかったようだったが、でも、俺にはわかった。
きっと、彼女はこの瞬間、この人に恋をしたのだ。決して叶うことのない恋を…。












それから、雨が降らない限り彼は毎日姿を見せた。
増えていく絵。
幾通りもの自分の姿。
そして、いつしか彼女は彼に想いを寄せていることに気が付いた。
募る彼への想い。
幾度も彼に触れようとした。
何度も彼に言葉を贈った。
でも、その想いは全て叶うことはなかった…。
彼に唯一出来ることは、いつまでもこの美しい姿を見せ続けるだけ。

幾つもの移り変わり行く場面を真は一つの映画のように見つめた。
彼女の気持ちは、胸を打つように痛かった。












そして、とうとう、恐れていた日が訪れた…。
それは珍しく何日か彼が姿を見せない日が続いて、よくやく来てくれたかと思った日のことで。


「今日も綺麗だね…」
『ありがとう…』
「でも、今日でここに来れるのも最後なんだな…」
『な、ぜ…?何と貴方は言ったの?』


いたずらに水に手を浸して掻き回し、その冷ややかさを楽しんだ彼は、自分に言い聞かせるように続けた。


「ここに来るようになって、ここの所、身体の調子も良かったんだけど、どうやらまた再発したらしいんだってさ。また、入院らしい。残り少ない人生なら、好きに生きたいのにね…。あんな白い箱に閉じ込められるなんてウンザリだ…。どうせ死ぬなら、晴れた青空の下で、こんな風に綺麗な景色の中で死にたいよ…」


時々、彼が苦しそうに咳をしていたのは知っていた。
でも、そこまで深刻な病気だなんて思いもしなかった…。


「じゃぁ、もう行こうかな…。また、ここに来れたらいいなぁ…」


そう最後に悲しそうに微笑んだ。
それはとても綺麗で、せつなくて、儚げで…、まるで、そう、もう二度とここに来ることは出来ないと確信しているようだった。


『待って!行かないで!』


ゆっくりと名残惜しそうに去り行く彼の後ろ姿。
でも、この声は届かない。
追いかけようにも、精霊である彼女は湖から動くことなど出来なかった。


『待って!行かないで!! …嫌ぁぁ!!』


―クッ!

彼女の受けたショックがあまりにも大きかったせいか、視界が揺れる。
この世界は彼女の心の世界だから、彼女の心の影響を受けやすいのだ。
真は強制的に自分の意識が排除されるのを感じた。
遠くなってゆく意識の中、彼女の泣き叫ぶ姿が見えた。

届かない、声
伝わらない、気持ち

彼の好んだ歌に反比例しているようで、それが一層悲しくって。
彼女の落とした涙が、彼女の世界を深く、青く、どこまでも続くような世界に変えていった…。
あんなに澄んだスカイブルーだったのに彼を失った後の今の彼女の世界はディープブルーで…。
それは、今まで真が出会ってきた誰よりも深く、悲しみに満ちた世界だった。












意識が覚醒するとハッと目を開けた。
力の使いすぎか、跳ね飛ばされた影響か、息が上がっていて、慌てて息を整えた。身体がだるい。


「真?大丈夫なのか??」


珍しくここまで疲弊している真を心配そうに翠は見上げてきたので真は軽く片手を挙げて大丈夫だと答えた。
少々、体力が減っただけで、今後に支障はないだろう。


「で、何か分かったのか?」


真が大丈夫そうだと判断したのか、翠は本題にすぐに入った。まったく、真面目なやつだ。
もう少し休憩させてくれたっていいのに。


「あぁ、分かったよ、いろいろとね…」
「ということは、いけそうなのだな?」
「うん」


二人は真を受け入れたせいで同じようにぐったりとした彼女を見やった。
翠は彼女の額に軽くしっぽで触れ、精気を与えた。
翠のお得意の術だ。
彼が疲弊すると実は真の負担が多少増えるのだが、今は彼女の具合が悪いよりはマシだった。



「負担をかけさせてしまって悪かったね。でも、これで、貴女を救うことができる…」


幾分か顔色が良くなった彼女に真は微笑んだ。
それは慈悲にも似た微笑み。


「もう、悲しい夢を見なくてもいいんです」
「本当…?」
「えぇ。苦しみも、悲しみも、みんな、全て忘れ去らせてあげます」


さぁ、と真は手を差し伸べた。
その甘い言葉に彼女は惹かれたように手を乗せかけるが、触れるか否かでその手は宙で止まった。


「どうした…?」
「全てって、あの人の事も…?」
「それが貴女を苦しめている原因だからな。仕方がない」


その翠の言葉で彼女は弾かれたように手を引いた。


「嫌よ!彼を忘れるなんて!絶対に嫌!!」


泣き叫ぶ彼女の影響を受けて、波立たないはずの水面が荒れた。
そんな彼女を加勢するように嫌な風が吹き始め、雲行きまでもが怪しくなる。


「苦しくてもいい、悲しくってもいいの!それでも、それでも、私はあの人の事を忘れたくないの。大好きなの、あの人の事が…!」


まるで嵐が来たかのように湖が、森が荒れる。
軽い身体である翠を庇いながら、真は必死に飛ばされないように足を踏ん張った。


「まずいな、このままでは彼女の魂が穢れてしまう。そうなると、もう…」


翠の言葉に真は青くなった。
そんな風に彼女を堕とすために来たのではない。
ただ、救いたいという気持ちだけ…。


「私のことはどうにかなる。頼む、真。彼女を救ってやってくれ」
「あぁ…」


翠を比較的風の影響を受けない場所へそっと降ろし、彼女へ向かって大声で叫んだ。


「泣くな、これ以上荒れれば、貴女の魂が穢れてしまう!」
「いや!来ないで!!」
「貴女が、貴女が彼に唯一してあげられる事を、彼が好きだった事を思い出せ!あの人は、貴女の綺麗な湖が好きだったんだ。決して、決して今のような貴女じゃない!」


彼は本当に彼女の湖が好きだったのだ。
毎日のように通うのはあの身体では決して容易ではないのに、それでもなお、彼女を描きに訪れた。
そんな彼が望んだのは決して今のような彼女ではなかったはずだ。
澄んだ水色の湖は今やもう、その面影はない…。
彼が離れていって、もう二度とこの地を訪れることが無くなってしまったあの日から、悲しい程に深く澱む湖になってしまった。
そして、気が遠くなるような長い年月を得た今もなお、彼女の悲しみは癒える事がない。
もう、彼はこの世には存在しないというのに…。


「今の、私、じゃない…」


泣き崩れるように座り込んだ彼女に、真は弱まりつつある嵐の中、一歩一歩近づいていった。


「あぁ、だから、夢をあげる。貴女がいつも綺麗でいられるように、幸せな夢を。それなら、彼を忘れなくてもいいしね」
「忘れなくて、いいの…?また、以前のような私に戻れるの??」
「初めに言ったよね。俺は案内人で、貴女を守りに来たって。俺は貴女を幸せにしたいんだ。以前のような貴女みたいにさ。もう、この世界にいないあの人に逢わせてあげることはできないけれど、それでも、俺は、夢はあげられる。君の望む夢を…」
「…本当に?」
「あぁ、本当さ」
「…ありがとう」
「それが俺の仕事で、俺が望んですることだから…」


彼女が俺の手にゆっくりと自らの手を委ねた途端、淡い光が彼女を包み込んだ。


「ありがとう、真。貴方は優しい人ね。まるで、あの人みたい…。こうして、貴方みたいな人に出会えて良かった。私を見てくれて、触れてくれて…。あの人ともこうしたかったわ…」


消え行く彼女は、そっと真の唇に自らの唇を重ね、最後に微笑んだ。
それは、あの、彼女の世界でみた幸せそうな微笑みと同じぐらい綺麗な微笑みだった…。












「…真」
「大丈夫。彼女は無事に眠ったよ、幸せな夢を抱いてね」


左眼に時折感じる、強い刺すような痛みに耐えながらも、真は嬉しそうに笑った。
手には1つのビー玉ほどの大きさのガラス玉のような空色の石。
そう、それは美しかった頃の彼女の湖の色。
彼女が深い幸せの眠りについた証だ。
真は大切そうにそっとそれをハンカチに包んでしまった。
彼女の心の痛みを一身に引き受け、代わりに夢をあげた。
湖を描く彼の傍らに、彼女が寄り添って、一緒に歌を歌って。
そして、笑っていた。
なんて小さな、なんて暖かい、幸せな夢。


「はぁ、痛みなど、安易に引き受けていいものではないのに…。まったく、お主は…。下手すればお主の精神が壊れるのだぞ?」
「俺は人より頑丈だし、この力が癒してくれる。ちょっと我慢するだけで彼女のような人が救われるのなら、俺は引き受けるよ、何度でもね」
「馬鹿者だな、お主は…」
「かもしれないね。でも、ああいう精霊をほっとけない、そんな俺だからこそ、翠は俺を主だと認めてくれているんだろ?」


翠は真の発言に目を丸くしたかと思うと、ふぃと横を向いた。
どうやら図星らしい。
そんな珍しい翠の姿に真は可笑しそうに笑った。


「先に行くぞ」


照れ隠しか、とっとと先に歩いて行ってしまった翠を慌てて追いかけようとしたが、ふと真は後ろを振り返った。
其処にあるのはもう精霊が存在しない湖。
だが、それは彼女の望んだ、かつて美しい湖の姿だった。
夕日が差し始めたその姿は本当に綺麗で、真は目を細めながらその光景を心に焼き付けた。


「この先、この湖がどうなるかは人間しだいだね。…まぁ、どうでもいいか」


自分にとって大切なのは、結局は精霊たちの幸せで。
一番悲しむであろう彼女も、もう、眠りについた。
冷めることのない甘い夢の世界へ。
真には穢れゆくこの世界を止めることは出来ない。
ならば、狂いゆく彼らに夢を与え続けるのみ…。
その後のことまでは関知できない。

それでも、


「美しくあってほしいね、いつまでも…」


彼女の愛した湖だから
あの人が愛した場所だから

叶わない夢かもしれないと思いながらも、真は願った。珍しいと自分に苦笑しながら…。


「あ…」
「どうかしたのか?」


どこからともなく、彼の歌声が聞こえたような気がした。


「なんでもない…。行こう、日が暮れる」


湖を背にしながら二人は森を後にした。












fin












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