君の風が吹く(2)











息が荒く、呼吸をするのも苦しく感じる。
いつもなら何でもない程度の運動なはずなのに、相棒の存在の大きさが、千切れた心が与えるダメージが想像よりも大きかったのだ。
しかし、真は足を止める事をせず、むしろスピードを上げ必死に走った。
今は翠の事で頭がいっぱいで、いつもは冷静な自分なんてどこかへといってしまっていて…。

「真!」
「あぁ、近い、ね…。すごい霊圧だ…。これは…人ごときが持てるものじゃない、な…。てことは、…」
「…うん。…仲間、だわ…」

ビリビリと翠の近くへと近づくにつれ強い霊圧、力を肌で感じる。
空気が重い。
激しい運動をしている以上の息苦しささえ感じるのはこの影響もあるのだろう。
アネモネの方へ目をやれば、彼女の表情も優れない。彼女は下位の精霊とは比べ物にならないほどの力の持ち主ではあるが、上位の精霊と比べたらば儚い存在でしかないのだ。
下手に上位精霊の影響範囲に入れば消滅もありえる。
空気が、風が、ふるえる。
その音は、まるで姿を保てぬか弱き精霊達の慟哭の声のようだ。
それほどまでの、圧倒的な存在感。

――強すぎる

これほどの強い力を持つ精霊とはいったい…?何の目的で翠を…?

『翠!!』

何度も強く心で念じ、翠へと語りかけるが、あの悲鳴を最後に未だ返答はない。
いつ、いかなる時も繋がっている片われ、そんな彼の存在の希薄さに焦る気持ちだけは積もっていって…。
馬鹿か、心の中で精一杯なじった。
普段は、お前はいつも危ない事を平気で…、と説教ばかりするくせに、自分の方が巻き込まれてるじゃないか。
助けてだして、全てが一段落したら、逆に説教してやると強く心に誓った。
疲労が波の様にどっと押し寄せるが、息苦しさを覚えれば覚えるほど翠の元へと近づくのが分かるから、足だけは進めた。
…しかし、とうとう周りに満ちる力がそれを拒んだ。
とある地点から一歩も進めないのだ。

「これ、もうただの霊圧というよりは邪気に近いな…。変質してしまってる…」

つまりは、翠の近くにいる精霊はもう、精神を侵されているということで。
ますます把握している事態は悪化している。

「また、誰かが…」

アネモネの真っ青な表情が、今度は泣きそうな表情へと変わる。
何度体験しても、仲間が悪意に満ちる存在になるのは辛いものだ。
本来の自分なら、きっと彼女と同じような気持ちになっただろうが、しかし、今回は翠の事があったし、そうなった精霊をどうにかするのがそもそもの真の仕事であり、使命でもある。
悲しみだけを感じていられない。
とりあえずは、悪意に染まり、変質した精霊の気が壁を作り真達が近寄るのを拒んでいるこの現状をどうにかするのが前決であった。

「仕方がない…」

ポケットからあるものを取り出した。
それは、小さな銀色の鈴のついた根付のようなものだったが、しかし、取り出すような動作を行なってさえも、アネモネの力ある風を受けても音が鳴らないような不思議な鈴だった。
真はすっと目を閉じ神経を集中し一振りすると、普通ならば些細な動作で鳴ることで鳴らない、精霊の風にさえも影響を感じなかった鈴は不意に音を立てた。

しゃらん

涼やかな澄んだ音が一鳴りすると一瞬にして二人の辺りは清浄な空気に満ちた空間へと変わる。
そう、これは浄化の鈴。
普段は精霊の気を静める為の補助でしか使っていないのだが、本来の役割はこういった事に使うものだった。

しゃらん しゃらん

再度鈴が鳴ると壁がパシンとヒビが入る音がすると一瞬にして消え去り、3度目の音で壁に阻まれていた内側の邪気をあらかたではあるが消し去った。

「すごい…」

しかし、感嘆の声をあげるアネモネとは反対に真はガクリと膝をついた。

「真?!ど、どうしたの?大丈夫??!」

慌てて近寄るアネモネに真は気力を振り絞って手を軽く振り、なんとか…、と返事を返した。
この鈴は、威力は凄いが力を多く喰うような諸刃の剣のような代物で、一族屈指の真ほどの力の持ち主でさえ、今までのような1度きりの使用ならともかく、3度もの酷使は体が堪える。
しかし、これは真だからこその回数で、他の者には到底一回でも真似できないものだ。

「チッ!…翠の、補助がないと…やっぱキツイ、な…」

ずるずると塀に持たれ、荒い息を整えながら悪態をつく。
唯でさえ消耗するものなのに、術へ割く力を無駄がなくてすむように操作する補助の役割の翠がいない痛手は大きすぎた。
アネモネが心配そうにこちらを見ているのが分かるのに、もはやそれをフォローするような余裕もない。
…それよりも、今最も心配しなければいけない事は、変質した精霊がこの先にいる事だった。
ここまで力を消耗していては到底太刀打ちできない。
冷静になれ、何度も自分へと言い聞かせ、必死に今の状況を分析する。
…もはや残された手は一つしかない。
分家の者を応援に呼ぶ、という手も有るが、自分が無理な者を彼等が対処できるはずがない。
余計な足手まといは必要ないのだ。

「アネモネ…」
「何?」
「…頼みたい事が、ある…」

自分でも無茶な願いだと分かっているから、恐々と空を仰ぐように上を見上げれば、今もなお自分を優しく包み込むそよ風のように彼女は微笑んだ。
まるで、それを予測していたかのような、待っていたような微笑で。

「いいわよ 。真の頼みなら何でも聞いてあげる。…私にはあんまりしてあげられる事ないけど」
「アネモネ、そんな簡単な願いじゃないんだよ」
「知ってるわ。…この状況を打開する力が欲しい、それが真の望みでしょう?」

あまりにも簡単にいいよと彼女が笑顔で答えるから、余計に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「…バカね、真。気にしなくていいのよ?だって、私は真といられるという事だけで幸せなんだもの。その願いが叶って、そして真の力になれるんだったら嬉しいぐらいなんだよ?」
「けど…!」
「もうっ!真が今、一番したい事は何!?猫さんを助ける事でしょ?大切な相棒なんでしょ!!」

腰に手を当てて、目を吊り上げて、顔を寄せてプリプリとアネモネが怒る。
いざとなったら鈍った決心を、滅多に怒らないアネモネのその迫力に押されて、ようやく真の決心がつく。
なんて情けないのだろう。

「真。さぁ…」

アネモネは急かすように、白く、しかし人ではない証拠でもある透けた両腕を真へと向け差し出す。
真は力の入らない重い腕に叱咤しながら自分も差し出すと、重なりあい、瞳を閉じた。

「…ごめん…ありがとな…」
「…助けてあげてね。猫さんも…仲間も…」
「あぁ…」

すっと深呼吸して瞳に意識を集中すれば、意識はアネモネの美しい緑の風の意識に触れる。
―掴んだ!
カッと意識を覚醒させれば、ふわりとした身に纏うのは風の気配。
優しい微風。
手に取るように風の流れがわかる。
周りを見回してもアネモネの姿は見当たらない。
どうやら成功したようだ。

『アネモネ…?』
『―真?』

脳裏に響く甘い声。
今、真とアネモネは完璧に同調していた。
いや、正確に言えば真が自らの内へとアネモネごと力を取り込んだというべきか。

『悪い…』
『何度も言わせないで!気にしないでって言ってるでしょう?…真は私達にとって必要な存在なんだもの』

こんな手段しか取れない自分が悔しくて、ぎゅっと手を握り締めれば、温かい気配が自分を包み込み穏やかな気持ちになる。
アネモネの感情が自分へと伝わってきたのだ。

『さぁ、早く行きましょう』
『あぁ…』

重かったはずの身体は、今はもう彼女の力で癒されていた。
もう、走れる。前へと進める。
アネモネが使役する小さな風の精霊達が、邪気が消え、ようやく精神体から実体を取れるようになったらしく、『コッチヨ』『イソイデ』と囁きながら自分達を翠のところへと導いてくれるのだ。
アネモネの身体を奪った後でも彼等は真に優しい。
だから、真は彼等が愛しかった。
…人間よりも。
人の存在など真にとって取るに足りないどうでもいい存在であったが、彼等には等しく幸せであって欲しかった。
それだからこそ、選んだ道。この力を、家業を厭うことなく生きてこられた。誇る事が出来た。
彼女達の自分への好意を無駄にしてはいけないと、塀にもたれるように座っていた身体を持ち上げ、駆け出した。

『…し…真…なのか…?!』
『翠!?大丈夫なのか!?』
『来る…な…!』
『翠?どういう…。翠!?翠!!』

ようやく翠と繋がったとも思ったのに、来るな、と翠の意志が伝わってきた瞬間、また再度繋がりは絶たれた。
しかも、アネモネが張ってくれた結界までも消失したのを感じた。
きっと変質した精霊が消したのだろう。
ますます持って翠の身が危ない。
すっと血の気が引いていくのを感じる。
いくら、先ほどの真が鈴を使って翠の元にいるだろう精霊の力を大きく削ったからといって、それは全てではなかった。
それには精霊の力は強すぎたのだ。
自分の未熟さを悔やむしかない。
唯一の希望は、翠は自分と繋がっている。
だから、まだ、まだではあるけれど、無事な事だけは分かる。
でも、それだけで。来るなと言われたけれど、そんな事出来るはずが無い。
彼は誰よりも身近な相棒なのだ。
行くに決まってる。
纏う風の力が真の速度を上げる。
まるで、自分自身が風になったようだ。
それでいて、自分の体力が削られる事はなく、ありがたい限りだった。



翠の、彼等の元まで、まもなくだ…。










next…







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