君の風が吹く











風が、一陣の風が真の髪を弄ぶ様に吹いた。

「遊ぶな」

真は虚空を軽く睨みながら呟いた。
しかし、そこには空。
無論、誰もいるはずもなく、それを見た人間は彼が独り言を言ったようにしか見えなかった。
つまり、今で言う、『危ない人』のようにも見える。
周りは不審そうに彼を見たが、一見普通の、いや、上等の部類に入る少年だと分かると、ちょっと面白そうに観察するような視線でちらりと見て去って行った。
まぁ、要するに、世の中『外見』なのかもしれない…。
まったく、理不尽な世の中だ。

彼はそんな周囲の視線に気付いてはいたが、気にはせず、しばらくすると、何事もなかったかのように再度歩き出した。
するとまた、微風が彼の頬を掠めるように吹いた。
真はその風を感じると、再度立ち止まり、ふぅと溜息を一つ零した。
どうやら、諦めるほかないようだった。

徐に眼鏡を外すと、彼のまるで漆黒の夜空、どこまでも吸い込まれそうな美しい黒い神秘的な瞳が顕となった。
彼の美貌はさらに鋭さを増す。
彼は再度、虚空を仰ぎ見ると、そこには一人の少女が存在していた。
黄緑色のふわふわとした腰まで伸びた髪。深緑色の瞳。
また、新緑色をしたシフォンのような素材を何枚も重ねたような美しいドレスに身を包む少女はまるで御伽噺から抜け出したような可愛らしい妖精のようだった。

しかし、肝心なところはそこではない。
このような色彩を持つ者が人間であるはずがなかった。
そして、その証拠とでもいうように、彼女はふわふわと空に浮いていた。
一見、幽霊のようである。

何故、先ほどまで見えていなかったはずの少女、明らかに人ではない未知のモノの姿が見えるようになったのか?
それは、彼の左目によってなせる技だった。
彼、澤水真の左の瞳は、「この世に存在せぬもの」を写す特別なもので。
普段は見え過ぎて困る為に制御用の眼鏡をかけているのだが、彼女の懸命のアピールに根を上げて、今の状態にいたったワケである。

「真!久しぶりね!!」

彼女はようやく真に姿を認めて貰えた事を嬉しそうに、頬を染めながら、彼の傍に近寄った。
その再に微風が微かに彼の髪を揺れた。

「…アネモネ、何の用だ?君の仕事はまだ終わってないんじゃないのか?この時期、喜びを運ぶのはアネモネ達、風の精霊の仕事なんだ。サボったら駄目だろうが」
「真、冷たい…。折角、忙しい合間を縫って逢いに来たのに…」

風の精霊。
それはまさに幽霊よりも、全身に美しい緑色をまとった少女にピッタリと似合っていた。
その少女、いや、アネモネに潤んだ瞳で訴えられた真は、うっ、とたじろいだ。

人間には常に冷徹に接している真だったが、彼女を含め、どうしても精霊達には甘いところが彼には有った。
仕事柄、彼らに多く接して、感情を共有しているせいかもしれない。
彼らは何処までも純真だ。
そんな彼らが穢れた時はいつも、人間のせいで。
真の仕事とは、そんな穢れた精霊に幸せな夢を与え、浄化し、封印する事。
その為に彼らの心を一時でも共有する真にとって、彼らの心は考えはいつも身近で、悲しいくらい美しいもので。
だからこそ、なかなか邪険に扱うのは難しかった。
再度、溜息を一つ。
こうなったら、彼女が満足するまで付き会うのが一番だ。

「…どうした?」

手を差し伸べて、目線の高さまで彼女を呼び寄せた。
このままだと首が痛くなってしまうから。
そんな理由をしらないアネモネは嬉しそうに真の手を恭しげに取って目の前に降り立った。
白い領巾がその彼女の行動に少し遅れてふわりと揺れた。

「あのね…、あれ、今日は猫さん、いないのね?」
「あぁ、翠の事?怒るよ、その言葉聞いたら。俺は普通の猫じゃないんだって、いつも自負してるから」
「でも、猫さんは猫さんでしょう?それに、真の傍にずっといられるなんてズルイ。私だって、ずっと一緒にいたいのに!猫さんなって大嫌いだわ」
「…前に翠も同じような事言っていたな…」

翠が居ないことを嬉しそうに微笑む彼女に苦笑する。
どうやら、二人はお互いに嫌っているらしい。
その争いの中心人物が自分だという所が微妙だが。

「どこ行ったの?相棒を解消したとか??」
「違うよ。翠は今でも俺の相棒だ。あいつだったら、今、調査しに行ってるよ」
「…また、お仕事?」

途端、先ほどまで愛らしくころころと表情を変えていた、彼女の表情が悲しげに揺れた。
無理も無い。真の仕事=傷ついた仲間がいる、そういう事だから。
仲間が苦しんでいて嬉しいはずがない。

「大丈夫、きっと、綺麗なる。いや、俺が綺麗にするから」
「うん」

そっと、彼女のふわりとした頭を撫でると、ようやく微笑む。
良かった、そう思った刹那、

“ニャァー!“

鋭い猫の悲鳴が響く。

「…す、い?翠?…何か、あった…?」

微かに、翠の鳴き声が聞こえた。
いや、正式に言えば、脳裏に届いたというべきか。
彼と真は互いに強く繋がっている。
先ほどは相棒とアネモネは言っていたが、あれは便宜上そう呼んでいるだけで、翠は自分にとって、他人のようで他人ではない存在だった。
生命としての別々の個を持ちながらも、しかし、意志の一部を共有する存在。
その翠が、窮地を知らせるかのように一鳴きしたものが、遠く離れた真に意思が届いたのだ。

何があった?翠が力をこれほどまで消耗するなんて、何が?

冷静になろうと、心を落ち着かせようとした瞬間、とてつもない霊圧を感じる。
不吉な予感に真の首筋を冷や汗がつぅと流れた。
どこにいるのかも分からない。
まず、どうすればいいか悩んでいるとハッと、隣に立つ彼女の存在を思い出した。

「アネモネ、わかるか?!」
「…やってみる」

自分の言葉の端々と強い霊圧から、その深刻な事態を彼女も察知したのだろう。
硬い表情で頷くと、彼女は両手を大きく前に広げ、その瞳を閉じると、「往きなさい」と一言呟いた。
途端、彼女の周りを風がやさしく包んだかと思うと、四方へ勢いよく散っていった。

しばらくして、彼女は目を微かに開いた。
しかし、その瞳はどこか遠くを見ているようで、焦点は定まっていない。
今、彼女は風と一体化しており、風は全て、彼女の目であった。

「見つけたわ…。ここから、それほど遠く、ないわ。…猫さんに、怪我はないみたい…。でも、酷く、力を消耗してるみたい…。何か、凄い力を持った人の気配があるけど、でも、細部までは感じ取れないの…。何かが邪魔をしている感じで…。ねぇ、真、どうすればいい…?」

意思はまだ風に委ねたままアネモネが尋ねる。
自分ではどうすればいいか分からないようだ。

「アネモネ。結界を張れるか?少しの間でいいんだ。翠に張ってほしい。頼む…!」

その言葉に肯くと、彼女は腕を一振りした。
領巾がふわりと揺れる。

「張ったよ?ただ、…相手の力量が分からないの。だから、いつまで持つかわからないけど…」
「あぁ。ありがとう。助かるよ。…あいつの場所を教えてくれ。すぐ、行かなきゃ…」

そう、呟くと同時に走り出す真の姿を見て、アネモネは微かに表情を歪ませた。
自分にもっと力があったら、もっとこの状況は変わったのに…、と強く思う。
もっと力さえあれば、猫さんをここまで運ぶことだって、反対に彼を傍まで一瞬にして風で運ぶことだってできる。
しかし、アネモアは微風を司る風霊だ。
そこまでの力は彼女には無かった。
精々、微風を巡らして居場所を特定したり、防壁を張ることくらい。
そんな自分が悔しくて、情けなくて…。

「アネモネ…?」
「え?あぁ、ごめんなさい!えっと、向こうよ」

慌てて猫さんのいる方向を指で差し示し案内をする。
今は後悔している暇なんてなかったのだ。
後悔なんて、後でたっぷりすればよかった。
今は、ただ、猫さんを助ける事が先決だった。
気に食わない相手ではあるけれど、見捨てられるほどアネモネは薄情じゃないし、何よりも、真が大切にしている相棒だ。
助けたかった。

「ありがとう。アネモネがいてくれて助かった」

こんな自分の心情を察したのだろうか、走りながら御礼を言われた。
誰よりも言葉を貰って嬉しい人からの言葉。
翠の事で頭がいっぱいなはずなのに、自分の事まで気を配ってくれる優しい人。
アネモネは決して人間が好きというわけではなかった。
むしろ、傷ついていく仲間のことがあるから嫌いだった。
けれど、彼だけは特別。
誰よりも、彼らに対する眼差しは優しかったから。
人間は彼の事を冷たい人だと言うらしい。
けれど、彼ほど心優しい人はいなかった。

「早く、猫さんを助けてあげましょ?」
「あぁ」

少しでも疲れないように、アネモネは安らぎの風を吹かせる。
一刻も早く翠の元へと、二人は走った。









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