猫と出逢った 美しい瞳を持つ、勝手気ままな でも、優しい声で鳴く黒猫と 片目の猫 ――そこは空気さえ違った 重く、湿ったような、かび臭く、時に何か腐ったような空気 それは四月一日が日頃身近に感じていた臭いだった 感じない時の方が少ないのではないかと思わなくもないが、そう自覚してしまえば精神の安定上よろしくないのでしないようにしている 体質のせい、そう言ってしまえば簡単だろうがそういいきれるだけの踏ん切りは未だついていない アヤカシを視ることが出来、その上引寄せてしまう迷惑な体質 引寄せても、跳ね除けられるのならば害がないのならばいい 祓えられる力があるのならば多少問題はあっても大きな問題ではない けれど、肝心のその力が四月一日には欠けていた ――それは酷く清らかなモノ だから、こうして一度外を歩くだけでアヤカシに絡まれるのだ 今まで己を損なうことがなかっただけでも奇跡なのだろう 力のない己にできる事と言ったら、安全な場所まで一歩一歩、重い身体を引きずりながら、振り切るように、もがくように逃げるだけだ 息苦しい 重い 苦しい 不の感情が四月一日に圧し掛かるが諦めてしまえばそれでお仕舞いだった けれど、それは死を意味することでもあり、そんな事はできなかった この体質は先天的なものであり、ここは住み慣れた町だ 何か特別なことでもない限りアヤカシの数も害も少ないことが分かっている道を選んでひたすら走った それでも、いつもよりもしつこいアヤカシは、四月一日の行く手を何度か阻み、何度か仕方がなく折れ曲がったが故に迷路にでも迷い込んだような気分だった 「俺は侑子さんの所へ行きたいのにっ!」 退治はできなくとも、そうすればこの危険からは離れられることを四月一日は経験上理解していた あの屋敷(ミセ)は彼女の手による結界によって厳重に護られているのだから 多少の対価を払わされる可能性は無きにしも非ずだが、命を損なうよりはマシで妥当な選択に違いなかった しかし、己の願いとは違い、足は願わぬ道知らぬ道を曲がり、走り、通り抜け、どことは知れぬ場所へと向かう ただ、屋敷から離れていっていることだけは確しかだった ここはどこだ? 四月一日がその場所がどこかを認識する暇もなく、己の視界が捕らえる景色はめまぐるしく変わっていく しかし、同時に身体に圧し掛かる重みも腐臭も冷気も増し、限界が近づいている事を四月一日は悟った 走った事が原因だけではないだろう酷い息苦しさを感じる その時、四月一日は己がアヤカシに追いつかれ首を絞められていることに気づいた 必死に抵抗するが、アヤカシに唯人である己の抵抗など些細なものだった にゃぁ 「え?」 聞こえたのは猫のような動物の鳴き声 それはか細いようでいて、よく通る、美しい声だった まるでそれは己を誘うように鳴いたように聞こえたとそう思った瞬間、己に圧し掛かるアヤカシが少し軽くなったように四月一日は感じた にゃぁ 再度聞こえたその声に導かれるように、四月一日はその声が聞こえた方へと歩みを進めた 無機質なガラスのような冷たさと優しさが同居しているような不思議な声 そちらへと行かなければならないような気がしたのだ 一歩一歩前へと進むにつれて、身体は軽くなり、呼吸が楽になるような気がした いや、気だけではない 実際にそうなっているのだ あれほど執拗だったアヤカシは己の周囲から徐々に姿を消し、終いには一体もいなくなってしまった 「なんで?」 見事に空気さえも浄化されていた 呼吸が随分と楽になり、新鮮な空気が四月一日の肺を満たす しかし、緊張の糸が切れた為か、全身から力が抜けガクリと膝を地面へとついた ――同質であり、しかし対極にあるモノ なんで?そんな問いに合う答えなんて己は一つしか知らないというのに 本当は分かっていた 魔や邪を寄せ付けず祓う存在なんて稀有だということや自分が大体どちらの方向へと向かっていただなんて それが、殺されかけるぐらいの危機に感情が高ぶっているという要素と結びついた時に帰依する結果だなんてきっと… ――偶然にしては出来すぎている だから、これもきっと必然で 「大丈夫か?」 そっと腕に触れる大きな手の温もり 悔しいぐらい己よりも大きなそれに嫉妬と安堵、真逆の感情が浮かんだ 「…怪我でもしたのか?」 返答のない己に心配になったのか、顔を覗きこむように近づけられた 己の瞳に映るのはやはり片目の猫だった 猫というには誤解があるだろうが、ふっと気まぐれのように現れる様子が四月一日には猫のように感じたのだ 恐らく、それを本人が聞いたのならば「お前こそ、ちっとも懐こうとはしない猫だろう」と言っただろうに違いないのだが、幸いにもそれを互いに言葉にして表してはいないので論争にはなっていない 「…百目…鬼…」 途切れ途切れに平坦な声でようやく吐き出された己の名に彼はどことなく瞳を安堵に緩ませたようだった 胸が、それだけの動作でどきりと高く鼓動を打つ 彼の腕が力強く四月一日の地面に座り込んだ身体を引き上げる いつもなら、ついここで怒鳴りちらすところだったが、今はそんな気力もなかったのか、大人しくそれに従った 「怪我はないようだな」 「…なんでここに?」 「俺の家の側だ、ここは。それに、見えたからな」 そっと百目鬼は己の右目に手を当て、目尻を撫でた まるで愛しいものを撫でているようで、思わず四月一日は顔を一瞬にして甘く染めた それを自覚し、見られるのが恥ずかしくて、慌てて俯くが首や耳まで赤い為に隠しきれていない 彼のその右目の半分は四月一日に別け与えられたものだった 不思議な事に時折四月一日と百目鬼の目はその瞳が映すものを共有するのだ と言っても、理不尽なことながら四月一日が百目鬼のものを見ることはなく、百目鬼が四月一日が見るものを同時に見るということだが 「不公平だ、お前ばかり見えるなんて!」 「…五月蝿い」 「なっ…!五月蝿いて…っ!」 怒りにようやく顔をあげた四月一日を見下ろす百目鬼の瞳は相変わらずの無表情であったが、けれどどこかそこには熱を帯びた瞳があった きっと、それは、己だけが気づく熱 鋭く清らかで、時に優しくて美しい瞳に宿る、己にしか向けられることのない感情という名の熱 ――己を捕らえる瞳だった あの日、己に分け与えたあの時から若干色味さえ変わってしまったように感じる瞳は、まるで片目の色違いの猫のように視線を奪い、己を捉えて放さない 怒りがすっと引いていくのを感じ、同時に心臓はより速く脈打つ その感情を抑えるように紛らさすように、四月一日は百目鬼の右目の瞼をそっと撫ぜた 己と関わる事できっと彼の運命も変わってしまった 失ったものは多い 己とは違う、神に愛されたようなアヤカシさえも寄せ付けない身体だというのに 彼は惜しみもなく己に与えるのだ しかし、変わりに彼が得たものは何かあるのだろうか? 「お前の危険が分かるようになった。お前の視るものを共有できる。それで、俺はいい」 撫ぜていた手を急に百目鬼に取られ、止められた お前の考えることなどお見通しだと言わんばかりのその憮然とした表情に、四月一日は少しだけ泣きたくなる いつも、いつだって、己が誰かに与えられるばかりで、奪うばかりで、誰かに何かを与えることができないのだ 否、与えることなら己だとて出来るだろう けれど、それは同時に己の身を削ることばかりで、余計に相手を哀しませるのだ 「――泣くな」 「…泣いてない!」 反射的につい、そうは言うものの瞳は微かに濡れている 吐息がかかるほどの近い距離にいるのだ、敏い百目鬼に気づかれないはずがなかった あっという間に眼鏡を奪われ、曲げた人差し指でそっと傷つめぬよう慎重に拭われた しばらくして、止まった涙を心なしか満足そうに見下ろす百目鬼に四月一日は小さくため息をついた 結局、いつだって己は彼には情けないとろばかり見せてしまう そして、感謝も対価も期待することなく、ただただ彼は己に優しい救いの手を伸ばすのだ 「…馬鹿だよな、お前は」 「そうでもない。…まぁ、偶にはお前にもっと素直になって欲しいとは思うがな」 特にアノ時は、と意味深な言葉を吐く百目鬼に動揺して呻く四月一日を面白そうに眺めながら、掠めるように赤い唇に触れた 「とりあえずは、これと散し寿司で等価交換ってことにてやるよ」 百目鬼は言葉を紡ぐことができないくらい動揺する四月一日に再度にやりと笑って、何か言われる前にとその場を素早く去っていった その去る手際の良ささえ、やはり猫のようだ 最初以上に赤くなった顔と心臓が口から飛び出しそうぐらいの速い鼓動に四月一日は顔を手で押さえ、身体を塀に持たれさせながらずるずると座り込んだ 「あー、もう、なんで…」 アヤカシに追われた以上に死にそうな気分だった 清らかな洗練された空気を纏う彼にいつだって、こうしてやられるのだ 惹かれあう存在 だからこそ、出会いは最悪で今だって素直になれなくて反発してしまう それは、 偶然ではなく必然な出会いだから… アヤカシ抜きにしたって、己にとって彼は重要な存在なのだと見せ付けられた気分だった 「素直になんてなってやるものかよ」 これ以上負けるのが悔しくて、そっと右目を四月一日は瞑った その口元には微かに笑みが浮かんでいた fin *****あとがき。***** こんにちは。20万打&6周年ありがとうss第四段です! 穂月さまよりリクエストいただきましたHOLiCで百四です。…なって、ますよね、百四に?とりあえず友達以上恋人(未満?)的な気持ちで書いてみましたが、何分、ワタが素直じゃない子なのでこんなとことでしょう(笑) 中毒は前々から好きだったんですが、初めて文で書いてみました。いつも初めては難しく時間がかかるのですが、ワタ大好き人間なので楽しく書けましたvワタ好きだー!愛vv ただ、残念な事といえば、不思議雰囲気とワタの色っぽさ(笑)が書ききれなかったということでしょうか。くっ!修行が足りません。 あ、うっかりもう少しでR指定なのになりそうになりましたが(笑)よかったー、あれで終わってくれて!(爆笑) いつかリベンジできるような時があれば、もう少しミステリアスな感じなのを書きたいです。Rじゃなくね(笑) では、このお話が少しでも皆様に気にいってもらえたなら幸い…。拍手ででもコメントいただけると嬉しいです。 07.05.20 「月華の庭」みなみ朱木 |
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