月華の庭 〜幻想郷の住人(10)〜









部屋に戻るとすぐ、リルは倒れるようにベッドに身を投じた
ベッドは微かにミシリと音を立てた
パッチワークのシーツカバーがくしゃっとシワを刻む

このシーツカバーを含め、この部屋は他の宿にある部屋に比べて、可愛らしい調度品で埋め尽くされている
私がこのティティアに長期滞在するのなら、宿の手伝いを暇な時に手伝ってくれるのなら、タダでこの部屋を使っても良いと提供してくれたのだ
…おそらく、この部屋は、女将さんの子供の部屋なのだろう
初めて出会った時から、私を自分の子供のように扱ってくれるから
いつも親切で、優しくって…
それは嬉しいのだけれども、その好意が、痛い
私には何も返せれるものがないのだ
まして、彼女の娘は亡くなっていて、生き返えすことも、また、自らが彼女の娘になることも出来なかった


「また、心配かけちゃった…」


ベッドにうずくまりながら、リルはそっと呟いた
帰ってきた時の自分の表情を見た、女将さんの表情はとても心配そうなもので
心配かけてるなって分かってはいたけれど、弁解できなくって
「疲れたから休みます」ってそれだけしか伝えずに閉じ篭ってしまった
きっと、彼女は、今なお、私の事を心配しているに違いない
一緒に生活しているのは、まだほんの少しだけれど、それぐらい分かる
普段は気の強い人だけれど、とても人に対して気を使う人だって
だから誰しもが、女将さんの事を慕っているのだ

心配などかけたくなかった…

でも、あの人の、母親の話題になるとどうしても動揺してしまう自分がいて
分かってはいたけれど、改めて、そんな女々しい自分に嫌気がさした


窓から差し込む月光に照らされた
灯りが燈っていない為、仄かな明かりだけで満たされている
青白いその光に、導かれるかのように窓辺へ向かった
月がよく見えるように設計されたその出窓からは、少し欠けた月が美しく見えた
遠くからは微かに人々の楽しそうな声が時折聞こえる
しかし、基本的には静寂が街を包み込んでいた
そんな中、その棚となった部分に腰掛、長々とその姿に魅入った











トントン


控えめに部屋の扉を叩く音がした
ふと、その音で我に返る
あれからどれだけ時間がたったのだろうか?


「入るぞ…?」


扉の方を見やると、入ってきたのは予想通り、ルティスだった


「何の用…?」


だが、リルはルティスをちらりと一瞥しただけで、目線はまた窓の外へ戻っていった
ルティスは扉を閉めると、そんなリルに数歩、近づいた
無表情で夜空を見上げる彼女のその姿に、何か怖いものを感じた
まるでそれは、月に囚われし者の様で、思わず身震いがした


「え、あぁ。お前、急に帰っただろ?気になってさ」
「…そう」
「そうって。それだけかよ?」
「…」


しかし、返って来たのは沈黙のみで
…どうも調子が出ない
リルには自分の本性を知られている以上、猫を被る気なんて起きないし、したくもないと思う
だから、いつも会えば喧嘩しあったりとかしている自分を、意外と楽しんでいたりして
それなのに、いつも笑っていて、怒っていて、賑やかな彼女しか知らないのに、今日は朝から、悲しそうな表情とか、こんな表情しか見てない気がする
例え、どんな人でも笑っていて欲しいと願うから…
そう、俺がこの職業を選び取ったのも、この理由だった
俺の月の愛し子としての才能は、リルの母親が踊りだったように、自分は音楽に現れたから
ならば、旅をして、竪琴を奏でながら歌って、人々の心を癒そうと思ったのだ
が、今の俺はどうだろう?
目の前のたった一人の人間さえ、笑わせる事ができない


「…なぁ、お前の母親ってどんな人だったんだ?」


その言葉にリルはピクリと反応し、こちらを振り向いた
ゆっくりと、その口を開いた


「私の、全てだった…」


ぽろりと一筋の涙が零れた
しかし、リルはそれを拭おうともしなかった
段々と表情が愛しそうなものへと変わる
過去を懐かしむ表情だ


「…誰よりも私にとって大切な人。私の誇りだった。美しくって、聡明で、誰よりも輝いていた」
「俺と同じ、『月の愛し子』だったんだって…?」


目を細めたのが分かった


「…えぇ。同じような銀の髪だった。と言っても、ルティスみたいに猫じゃなくって、本当に優しい人だったわ」
「おい、俺は素でも優しいぞ!訂正しろ!!」
「…ま、そういう事にしておいてあげる」


反論すると、リルは仕方がないなぁ、といった感じでくすっと笑った
少し、腹立たしい気もするが、少しでも笑ってくれた、
その事実が嬉しかった


「稀代の舞姫と呼ばれるほど、舞が上手かったわ…。…あの人の舞は、いつも、神に捧げるものだったわ…。教会でしか舞おうとしなかった。遠くから訪れた金持ちに、どんなに請われようとも舞おうとしなかった。どうして、舞おうとしないんだろうと思ってたけれど、今、思えば、ラドクリフ様に育てられた影響なのかもね…」
「あー、確かに。あいつと暮らしてると、どうしても生活が宗教色強くなるからな」
「やっぱり?」


その答えに、今度は二人で笑ったのだった









「どうして、全て、なんだ…?」


しばし笑いあった後、ちょっとした沈黙を破るようにルティスが私に尋ねた
確かに、この言葉だけでは分からないだろうと思う
今までは、どうしても、思い出すだけで辛くって、避けていた話題なのに、気軽に聞いてくるちょっぴり苦笑した
でも、なんだかさっきから、一つ一つ、ルティスに離す事によって、心が軽くなったような気がした
…あんなに、泣きそうになったのにね
どうしてだろうと思う
あの人と同じ髪色を持つ、彼だからだろうか?


「私は母と二人で暮らしていたんだもの。私を女手1つで育て上げてくれたのはあの人よ。だから、幼い私には、あの人だけが私の世界の全てだったわ…」
「え、おばあちゃんと住んでたんだろ?」


あぁ、と思う
そう勘違いしても仕方ない
誰にも、そんな事を言ったことはないのだから


「違うの。一緒に暮らし始めたのはその後…。あの人が亡くなるまで、私はお婆ちゃんの存在さえ知らなかったもの」
「…そっか」
「やだ、そんな表情なんでしないでよ。…確かに、あの人がもういない、その事実は辛いものだけれど、お婆ちゃんに大切にされて、幸せに暮らしてたんだもの。…お婆ちゃんは、私にとっては、最後の肉親で、大切な人で。…だからこそ、助けたいの。もう、苦しんでいる人の姿を見ているだけなんて、できないから…」
「…ん」


言葉短めに答えると、ルティスは穏やかに微笑んだ
それこそ、みんなが噂する、見惚れるような慈愛に富んだ微笑みに感じた


「…決めた」
「何が…?」
「お前に歌を贈ってやるよ…」
「え…?」


突然のルティスの意味不明な行動に訝しがるリルを無視し、もう一つの窓の方へ彼は向かった
そして、同じように出窓に腰を下ろすと、竪琴を抱えた
月神に愛された者の歌が始まる











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